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【社会福祉学科】私が社会福祉士を目指した理由 -福祉専門職としての自分を鍛えつづける-2018年06月04日

 保育士をしていた母親の影響もあり、小学校の頃から福祉に興味を抱いていた私は大学も迷うことなく福祉系の大学へと進学しました。“人を支える仕事がしたい”という思いが強かったと思います。大学4年生になり進路は障害者支援施設(当時は、知的障害者更生施設)に進むことになりました。就職先が決まった後は、毎日アルバイトに明け暮れ、社会福祉士の勉強はほとんどしていませんでした。当然、1回目の受験は不合格という結果で終わります。
 生活支援員として働きはじめて3か月ぐらいが経ったころ、“今度はしっかりと勉強をして社会福祉士を取ろう”と心に決めて勉強をはじめました。しかし、仕事と勉強の両立は難しく、2回目の受験も不合格となります。
 その頃、50代の男性利用者Aさんの担当になりました。彼は、施設に入所してから10年以上自宅に帰ることなく、お盆や正月も施設で過ごされていました。私が働きはじめた頃は、日本の福祉が大きな転換をむかえ、障害者福祉分野では、“脱施設”という言葉がいわれていました。これまでの施設入所の支援ではなく地域での自立生活に向けた支援が強調されていました。私は、“地域移行”“自立生活”という言葉だけに視点をおき、本人の意向に耳を傾けることなく、“家族と過ごすお盆は本人にとって幸せな時間”“これが将来的な自立につながる”という一方的な私の価値観の押しつけによって、彼を10年間一度も帰ることのなかった自宅へ帰すことをすすめました。それが、唯一正しい支援だと思っていたのです。そして、Aさんが自宅へ帰宅をしたその日の晩、「家から居なくなった」という連絡が入りました。すぐに職員が招集され、一晩中捜索をしましたが、見つかりません。翌日の昼すぎに、Aさんが警察に保護されたと連絡がありました。Aさんは真夏の炎天下のなか歩きつづけたため、真っ黒に日焼けをし、足には多くのマメができていました。
(その後の対応については、省略します。)
 今振り返れば、多くの反省があります。Aさんは、「施設に帰りたい」という思いから家を出たそうです。それは、当然かもしれません。10年以上、家族と会うこともなく、突然「あなたの家だから」と帰された彼の心境はどのようなものだったのでしょうか…。
 地域での自立生活には、さまざま対応が求められます。本人の自立を考えること、家族への支援、地域での見守り、経済的な問題、医療や他機関との連携も調整しなくてはなりません。本人を中心として、その道筋を共に考え、一つひとつ環境を整えていくことが重要であり、そこにはさまざまな知識と技術、利用者支援の価値や倫理が求められます。私は、その学びこそが、社会福祉士の勉強であったと思います。福祉専門職である限り自らが学び、鍛え続けなくてはならないのです。大学は、その学び方(鍛え方)を学ぶ場です。
 社会福祉士の勉強を通して、感じたことは、「あの時この制度を知っていればなんとかなったかもしれない」「このアプローチ方法を知っていれば…」という後悔です。福祉の仕事は、支援者の知識や力量によって、利用者の生活・人生に大きな影響を及ぼす仕事であることを、利用者の犠牲ともいえる経験を通して教えていただきました。 
 その後、必死になって勉強に取り組み4回目の受験で社会福祉士に合格することができました。あの日の感動と、福祉専門職としての一歩を踏み出した責任を今でも忘れることはありません。

社会福祉学部 准教授 小口将典

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