「小野圭介は、好きな人いるの?」
部活からの帰り道、後ろから突然話しかけてきたのは2年生の先輩だった。
朝倉優、女子バスケ部。なぜか知らないが、いつもフルネームで呼んでくる。家が同じ方向だったから、たまに帰り道がいっしょになった。
でもこんなふうに話しながら帰るのは、初めてのことだった。
「いや、別に」小野は当たり前のように否定した。それは誰にも言ったことのない秘密の感情だった。
いつ誰に聞かれても「いや、別に」としか答えたことがなかった。相手が親友だろうが先輩だろうが関係なかった。
それは定型文であり、それ以外の答え方を小野圭介は知らなかった。だから、その嘘をとても自然に言うことができた。
中川真央が好きだという事実は、心の中で完璧に守られていた。
「ところで先輩は?彼氏とかいるんですか」小野はさりげなく反撃に出た。
自分の気持ちの周辺を他人が歩くだけで、なんかどきどきしてしまう。一刻も早く、別の話題に移る必要があった。
「やっぱり気づいてないのか。まあ、気づくわけないか」朝倉は、とても投げやりな言い方をした。でも小野には話が見えなかった。
「気づくって何に、ですか?」小野は、朝倉と一瞬だけ目を合わせた。目を見ても、何を言おうとしているのかは少しも分からなかった。
「まず、とても残念なことを言う。真央は、別の人と付き合っている。小野ではない、他の誰かと。
それが誰かを教えることはできないけど」小野の目の前で、突然世界が終焉を迎えた。
「真央って、バレー部の中川ですか?いや、別におれ・・・」
「わたし、知ってるよ。だから隠さなくていい。そしてなぜ隠すのか、意味が分からない」
一つ上の先輩は、低い声で小野を遮った。
「その上で、言わなければいけないことがある。わたしは小野圭介が好きだ。
中川真央を好きな小野圭介を、朝倉優は好きになってしまった」
徹底的に訓練された舞台女優のように、朝倉の言葉は整っていた。
その整然とした感じが小野を余計に戸惑わせ、一気に思考停止状態に陥れた。
中川真央が他の誰かと付き合っている上に、女子バスケ部の先輩が自分のことを好きだと言っているのだ。
しかもこの今、目の前で。
「でもね、その気持ちは今日までの話。明日から朝倉優は、小野圭介を好きではない。
なぜなら小野は、明日もきっと中川真央が好きだから。今日、いま、わたしはふられた。それでいい」
朝倉は笑顔で断言した。自分の気持ちを告白して、でも相手は他に好きな人がいて。
この国の高校生の8割が経験しそうなこの状況が、例外なくこの二人にも訪れていた。
ただふられた女の子が笑っているという点だけが、ちょっと違った。
「まず小野圭介は、真央に気持ちを伝えるべきだと思う。そこからすべてが始まる」
朝倉は、友達を励ます少年のように、小野の肩に手を載せた。
「ちなみに真央の話、全部ウソだから。他の誰かと付き合ってなんかいない」
朝倉は笑いながら、とても前向きな何かを小野の心の中に送り込んだ。
これまでの経緯から、小野圭介と中川真央が相思相愛であることはほぼ確実。ただしお互いに告白はしてない中途半端な状態。そこに現れた朝倉優。朝倉は小野が好きだと告白し、「真央の心は別の人にあり」とデマの情報を流します。朝倉は小野の心を自分に向けようと大胆な行為に出ましたが、見事失敗。失恋してさぞかし凹んだことでしょう。
ところが朝倉は、①中川真央をあきらめるようさらに説得する手は打たず、②自分があきらめる代わりに中川にちゃんと告白するよう、小野に迫りました。この三人の関係は、ABXモデルやバランス理論で説明できます。三者の関係を安定させるために、朝倉は中川の味方になる道を選んだのです。小野と中川が憎しみあうような働きかけも一つの手だったのに。朝倉は芝居仕立てで小野の本心を査定し、身を引く判断をとったようです。
失恋というネガティブイベント。これを乗り越える力は、どこから来るのでしょう。ポジティブ心理学では、困難を乗り越え、凹んだ心から回復する力を、「レジリエンス」という概念を使って研究しています。みなさんもポジティブ心理学を学んで、失恋を乗り越える力を身につけてみませんか。