バスケ部内でも、その理由を知っている者はいなかった。
八木歩が、水曜だけ朝練に来ない理由。顧問の先生には、ちゃんと説明してあるようだった。
「まあ、何かしらの事情があるんだろう」 先生は周囲の興味をうまいことかわした。
水曜以外はすべての練習に出ていたし、文句を言う者はいなかった。
水曜は八木がいない日。そういう暗黙の同意があった。
「このお弁当箱、誰の?昨日部室にあった。っていうか2つは食べ過ぎでしょ」
みんながどっと笑った。
キャプテンが茶化すように言ったからかもしれない、結局名乗り出るものはいなかった。
でも翌日の朝には、そのお弁当箱はなくなっていた。 八木歩がいつもより早く登校して、2つのお弁当箱を回収したのだ。
「何で2つあるの?」「もしかして彼氏のやつ?」
話が変な方向に行くのが面倒だった。 だから昨日は、名乗り出なかった。
「あゆむ―!きのうありがとう!」
その翌日。女子バスケ部の友達と体育館に向かっていた時、
敷地内を歩いていた小さな女の子が八木に向かって叫んだ。
バスケ部のみんなは「???」となったが、そんなことは気にもせず、元気に通り過ぎて行った。
玉手高校には、同じ敷地内に付属幼稚園がある。おそらくそこの園児だろうということはみんなすぐに分かった。
でも、その子と八木の関係性に関しては誰も想像がつかなかった。
「え、妹?」「あんなに年離れてんの?」次々と質問が飛んできた。
「妹じゃない。あの子、付属の幼稚園の子」八木はその質問を遮るように切り出した。
「で、ありがとう、って何?」みんなの興味はそこだった。
何で幼稚園の子が、八木に感謝の意を表したかということについて。
「今、幼稚園でお手伝いしてて。将来そういう仕事したいから」八木はそのまま続けた。
「通っているうちにあの子と仲よくなったんだけど、
水曜日だけお母さんの仕事の関係でお弁当を作ってもらえていないことを知って。
代わりに先生がお弁当をつくってくれてたんだけど、
その役を私にやらせてほしいって頼んでみたら、お母さんも本人も喜んでくれて。
それから水曜日は、早起きしてお弁当を作る日になったの。昨日のお弁当箱2つは、そういうこと」
水曜日だけ朝練に来ない理由を、みんなが理解した瞬間だった。
八木歩が小さなお弁当をつくる水曜の朝は、もう半年以上続いている。
その感覚は、八木歩が生きていて初めて得たものだった。
人に必要とされる感覚。自分を待ってくれている人がいるという感覚。
バスケができないのはちょっとさみしいけど、八木は水曜の朝が本当に好きだ。
八木歩は水曜だけ朝練に来ない。その理由は何か、分析してみましょう。そのヒントは、ある日八木がお弁当を2つ作っていた事実にあるようです。お弁当を2つ作っているのはなぜでしょう。附属幼稚園の園児から「ありがとう」と声をかけられたのを見れば、真実は分かります。
そう、幼稚園児のためにお弁当を作っていたのです。それが毎週水曜。だから朝練に出られないのです。愛他性という徳性は、他者のために何かしてあげたいという感情です。愛他性の強い人は、自分を犠牲にしてまでも、他者のために尽くします。困っている人のためになることをしてあげたいのです。他者が喜ぶことを率先して、してあげたいのです。最初は「かわいそうだから、私がしてあげなければ」という「哀れみ」や「慈愛」の感情によるものであったかもしれません。でも、それだけでは長く続きません。人のためになることを実行し、継続し続けられる理由は何か?そのワケを知るには、人の行動を制御する心理科学のルールを知らなくてはなりません。
それはいったい、どんなルールなんでしょうか?尊敬する人の依頼や指令に従うというルールでしょうか。周りの人たちから賞賛や報償を得たいというルールでしょうか。
八木歩は、幼稚園児のためにお弁当を作っていること、そのために朝練に出ないことをクラブの誰にも告げていません。誰からも認められず、賞賛もされていません。むしろ毎週水曜の朝練を休むことに対して小さな疑念さえ持たれているかもしれません。そうまでして、なぜ八木は愛他性ゆたかな行動をとり続けるのか。なぜ幼稚園児のために、お弁当を作り続けられるのでしょうか。
愛他性は,どんな人間にもそなわっている素直な感情だと考えられています。 2011年の東日本大震災の時、震災や津波などの災害を受けた被災者のために、多くの日本人が愛他性を強く抱きました。子育てや、仲間作りにも必要な徳性ですね。普段から愛他性の感情を強くもつことで、人からも愛され、幸せな人生を歩むことができるでしょう。