厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書

自律神経機能異常を伴い慢性的な疲労を訴える患者に対する客観的な疲労診断法の確立と慢性疲労診断指針の作成

精神作業負荷に伴う疲労の評価法の検証

主任研究者  倉恒弘彦 (関西福祉科学大学健康福祉学部教授)
分担研究者  西澤良記 (大阪市立大学医学部教授)
分担研究者  小泉淳一 (横浜国立大学大学院工学研究院)
分担研究者  渡辺恭良 (大阪市立大学医学部教授・理化学研究所分子イメージング科学研究センター、センター長)

研究協力者: 田島世貴 (兵庫県立総合リハビリテーションセンター中央病院)
山口浩二、笹部哲也、中富康仁(大阪市立大学医学部疲労クリニカルセンター)
倉恒大輔、井上正康(大阪市立大学医学部第1生化学教室)
三戸秀樹、廣澤巖夫、大川尚子、藤原和美、池上 徹(関西福祉科学大学健康福祉学部)
局 博一 (東京大学大学院農学生命科学研究科)

研究要旨

 本研究では、コンピューター化された一桁の足し算を120分間連続で行うことを精神作業負荷課題として検討することにより、精神作業疲労では以下のことが明らかになった。
1. 自覚的な疲労感は、精神作業に伴い増加し、休息により回復した。
2. 解答に必要な所要時間(反応時間)は、精神作業疲労に伴い増加し、休息により回復した。
3. 解答に必要な所要時間のばらつき(変動係数)も、精神作業疲労に伴い増加し、休息により回復した。
4. 相対的な交感神経系の緊張状態(心電図R-R間隔の心拍変動解析により算出したLF(低周波成分:0.04-0.15 Hz)/HF(高周波成分0.15-0.40 Hz)の比率)は、自覚的な疲労感、反応時間、変動係数と同様に、精神作業に伴い増加し、休息により減少した。
以上より、精神作業疲労では主観的な感覚である疲労感が増強するとともに、客観的な指標として「反応時間」、「変動係数」、「LF/HF比」が増加し、休息にて回復することが判明し、「反応時間」、「変動係数」、「LF/HF比」は精神作業疲労の客観的な指標として有用であることが示された。本研究にて作成した精神作業疲労モデルは、極めて簡便に疲労に伴う心身機能の低下状態を評価知ることが可能であり、サプリメントやドリンク剤など客観的な効果の検証にも応用が可能なものである。

A. 研究目的

疲労は、精神的・肉体的作業や疾病に伴って発生する心身機能の低下状態として定義され、生理的な疲労と病的な疲労に区別されている。
そこで、本研究では精神的作業負荷によって引き起こされる疲労病態を客観的に評価する手法を明らかにすることを目的として、健常者に対して行う精神的作業負荷の課題を検討するとともに、精神作業疲労時にみられる心身機能の低下状態をいくつかの客観的評価手法を用いて評価することを試みた。

B. 研究方法

1. 精神的作業負荷としてのコンピューター化された負荷試験ソフトの作成
クレッペリン試験は、一桁の足し算を一定の時間にどれだけの回数、どれだけの精度で行うことが出来るかを調べる検査であり、個人の能力や性格の特徴を明らかにする適性検査として現在も多くの企業の採用試験のときに実施されている。
我々は、この検査を長時間被験者に行わせた場合には、精神的な負荷に伴う疲労感が増悪し、一定の時間に回答できる回数や精度が低下することに気付き、以前より紙ベースのクレッペリン試験を精神作業負荷の課題として行ってきた。しかし、この評価には試験後に解答用紙を1つ1つ丹念に判定する作業が必要であり、時間と量力を要するものであった。
そこで、山口、笹部らは判定を自動で行えるコンピューター化された脳機能判定ソフトを考案した。これは、コンピューターの画面上部に一桁の数字を2つ表示するとともに、その2つの数字を足し算することを示す数式(+)を数字と数字の間に表示し、回答を画面下部に示した0から9までの10個の数字を選ぶものである(図1)。
このソフトを用いることにより、試験中に行われたすべての回答が何秒間でなされているのかが自動的に計算されるとともに、その回答が正解か否かもすべてコンピューターに記録されており、判定作業を極めて簡素化することが可能となっている。


図1. コンピューター化脳機能判定ソフト


2. 精神作業負荷に伴う疲労の誘発とその評価

ⅰ. 対象者
関西福祉科学大学の学生24名(男性4名、女性20名、19-22歳)を対象として実施した。

ⅱ.精神作業負荷の内容 
今回の実験では、コンピューター化された単純な一桁の足し算を120分間連続で行うことを精神作業負荷とした。

ⅲ. 主観的な疲労感の評価
疲労の評価には、心身機能の低下状態を表す客観的な評価とともに被験者が自覚する疲労感の評価も大切である。日本疲労学会の抗疲労臨床評価ガイドライン(2008年2月16日)によると、疲労感の評価にはVisual Analogue Scale (VAS)を用いることが推奨されており、本試験においてもVASによる主観的な疲労感の評価を行った。

ⅳ. 客観的な心身機能の低下状態の評価
今回の検討では、客観的な評価指標として毎回の足し算の回答に要した時間(反応時間)、回答に要した時間のばらつき(変動係数)、精度を調べるとともに、心電図を5分間計測してR-R間隔の心拍変動解析を行ってLF(低周波成分:0.04-0.15 Hz)/HF(高周波成分0.15-0.40 Hz)の比を算出し、自律神経機能の1つの指数として評価した。

ⅴ. 精神作業負荷と上記評価法の実施時期
VASによる主観的な疲労感、ECGによる自律神経機能その評価は、負荷前、負荷120分後(負荷終了後)、20分間休憩後、20分間+35分間(計55分間)休憩後の4回実施した(図2)。
また、足し算の反応時間、変動係数、精度については、120分間の負荷時間の中で、開始後6-10分間、61-65分間、116-120分間について算出するとともに、20分間休憩後と20分+35分(計55分)休憩後にも4分間のコンピューター化された一桁の足し算を4分間行い、精神作業疲労に伴う変化を解析した(図2)。
また、今回の評価実験は2日間連続で実施し、1日目と2日目の結果をともに解析した。


図2. コンピューター化された単純足し算による疲労誘発と疲労評価の時期と方法
*: VASによる主観的な疲労感、ECGによる自律神経機能その評価
**:休憩後に4分間実施した一桁の足し算の反応時間、変動係数、精度の評価

(倫理面への配慮)
インフォームドコンセントを取るに当たり、厚生労働省のガイドラインに準拠した同意書を作成し、これに被験者の同意(未成年者は保護者の同意も取得)を得た。全ての研究の過程は関西福祉科学大学・倫理委員会の承認を得たプロトコールにしたがって行われた。

C. 研究結果

1. 精神作業負荷疲労時とその後の休息に伴う主観的な疲労感の変化
120分の精神作業負荷後にはVASで表した主観的疲労感は統計学的に有意に上昇し、休憩後は減少した(type II MANOVA, p<0.001)(図3)。 
尚、2日間連続で実験を行なったため、2日目の試験開始前の主観的疲労感は1日目と結果と比較して高まっている傾向がみられた(type II MANOVA, p=0.0547)(図3)。


図3. 精神作業負荷とその後の休憩に伴う主観的疲労感の変化

2. 精神作業負荷疲労時とその後の休息に伴う客観的な心身機能の低下状態の評価
ⅰ. 簡単な足し算の反応時間、変動係数、精度の変化
反応時間については、精神作業負荷に伴い統計学的に有意に上昇し、休憩後は減少した (type II MANOVA, p<0.005) (図4)。
また、2日目の反応時間は1日目の結果と比較するとすべて上昇している傾向がみられた(type II MANOVA, p= 0.093) (図4)。
次に、変動係数については、1日目、2日目の結果はともに精神作業負荷に伴い統計学的に有意に上昇し、休憩後は減少した(type II MANOVA, p<0.001) (図5)。しかし、2日間の相違については有意な差はみられなかった(type II MANOVA, p= 0.549) (図5)。
尚、回答の精度については、すべての回答の正答率が98-100%であり、精神作業負荷に伴う変化はみられなかった(図は省略)。


図4. 精神作業負荷とその後の休憩に伴う反応時間の変化

図5. 精神作業負荷とその後の休憩に伴う変動係数の変化

ⅱ. 自律神経機能の変化について
心電図のR-R間隔の心拍変動解析を行ってLF(低周波成分:0.04-0.15 Hz)/HF(高周波成分0.15-0.40 Hz)の比を算出すると、交感神経系の活動/副交感神経系の活動の比率を把握することができ、自律神経機能解の1つの指標として汎用されている。
そこで、健常者の精神作業負荷疲労時におけるLF/HF比を検討したところ、図6に示すように精神作業負荷後に統計学的に有意に上昇し、休憩後は減少した(type II MANOVA, p<0.05)。2日間の相違については有意な差はみられなかった(type II MANOVA, p= 0.411)。

図6. 精神作業負荷とその後の休憩に伴うLF/HF比の変化

D. 考察

内田クレッペリン試験は、ドイツの精神医学者クレッペリンの研究を参考に、1920年代に内田勇三郎によって開発された質問紙による検査であり、現在では一桁の数字が横に行列状に並んでおり、縦にはその行列が30行記載されている試験紙を用いて検査が行われている。
被験者は、1行目の左端から順番に並んでいる数字の足し算を行い、その下1桁の回答を数字と数字の間に記載することを繰り返し、1分経ったところで次の行に移り2行目の左端から同じように足し算を行う。通常、15分間の計算を5分間の休憩を挟んで2回行い、一定の時間にどれだけの回数、どれだけの精度で行うことが出来るかを調べることにより、個人の能力や性格の特徴を明らかにする適性検査として汎用されている。
我々は、この検査を長時間被験者に行わせた場合には、精神的な負荷に伴う疲労感が増悪し、一定の時間に回答できる回数や精度が低下することに気付き、以前より紙ベースのクレッペリン試験を精神作業負荷の課題として行ってきた。しかし、この評価には試験後に解答用紙を1つ1つ丹念に判定する作業が必要であり、時間と量力を要することより、大きな作業負担となっていた。
そこで、山口、笹部らは判定を自動で行えるコンピューター化されたクレッペリン試験(脳機能判定ソフト)を考案した。これは、前述のごとくコンピューターの画面上部に一桁の数字を2つ表示するとともに、その2つの数字を足し算することを示す数式(+)を数字と数字の間に表示し、回答を画面下部に示した0から9までの10個の数字を選ぶものである(図1)。
このソフトを用いることにより、試験中に行われたすべての回答の所要時間が自動的に計算されるとともに、その回答が正解か否かもすべてコンピューターに記録されており、判定作業を極めて簡素化することが可能となっている。
本研究では、このコンピューター化された単純な足し算を120分間連続で行うことを精神作業負荷課題として検討したことにより、精神作業疲労では主観的な感覚である疲労感の増強とともに、客観的な指標として解答に必要な所要時間(反応時間)、解答に必要な所要時間のばらつき(変動係数)、心電図R-R間隔の心拍変動解析により算出したLF(低周波成分:0.04-0.15 Hz)/HF(高周波成分0.15-0.40 Hz)比)が増加し、休息にて回復することが判明した。
自律神経系は交感神経系と副交感神経系より成り立っており、交感神経系は活動時や緊張している時に高まる自律神経であるのに対して、一方副交感神経系は休息時や睡眠時に活動が高まる癒し系の神経として知られている。
自律神経系のバランスについては、安静閉眼時に計測を行うと、健常者は通常2以下となり、比較的安定している。しかし、半年以上激しい疲労が持続する慢性疲労症候群の患者では健常者と比較するとLF/HF比が高く、相対的な交感神経系有意な状態であることを見出してきた。これは、いくら安静にしていても相対的な交感神経系の優位な状態が持続していることを意味しており、「夜なかなか寝付けない」、「夜中に何度も目が覚める」などの睡眠障害と結びついている。
本研究の結果、健常者の精神作業負荷に伴う疲労においても相対的な交感神経系の優位な状態が誘発され、自律神経系が疲労と深く結びついていることが明らかになった。しかし、健常者の精神作業疲労では、比較的短時間の休息にて自律神経系のバランスは回復することも確認され、疲労回復には相対的な交感神経系の優位な状態をリセットすることも重要である可能性を示唆している。
現在、疲労の回復に対して様々なサプリメントやドリンク剤などが発売されており、その市場は年間1000億円を越えると言われている。しかし、そのほとんどが「肉体疲労時の栄養補給」を目的として記載されており、実際に疲労に伴う心身機能の低下状態を評価して効果を検討したものはみられない。その理由の1つは、これまで疲労に伴う心身機能の低下状態を客観的に評価するための指標が確立していなかったためであり、また介入試験を行う場合の疲労回復を客観的に評価できる良い評価モデルが確立されていなかったことによる。
本研究にて作成した精神作業疲労モデルは、このようなサプリメントやドリンク剤など客観的な効果の検証にも応用が可能なものであり、アロマセラピーや森林浴、鍼灸療法などさまざまな疲労回復に有効と思われている伝承療法の疲労回復効果の科学的な検証においても広く応用されることを願っている。

E. 結論

本研究では、コンピューター化された単純な足し算を120分間連続で行うことを精神作業負荷課題として検討することにより、精神作業疲労では以下のことが明らかになった。
1. 自覚的な疲労感は、精神作業に伴い増加し、休息により回復した。
2. 足し算の解答に必要な所要時間(反応時間)は、精神作業に伴い増加し、休息により回復した。
3. 足し算の解答に必要な所要時間のばらつき(変動係数)も、精神作業に伴い増加し、休息により回復した。
4. 相対的な交感神経系の緊張状態(心電図R-R間隔の心拍変動解析により算出したLF(低周波成分:0.04-0.15 Hz)/HF(高周波成分0.15-0.40 Hz)比)は、精神作業に伴い自覚的な疲労感、反応時間、変動係数と同様に増加し、休息により回復した。
以上より、精神作業疲労では主観的な感覚である疲労感が増強するとともに、客観的な指標として反応時間、変動係数、LF/HF比が増加し、休息にて回復することが明らかになり、精神作業疲労の客観的な指標として有用であることが示された。本研究にて作成した精神作業疲労モデルはサプリメントやドリンク剤など客観的な効果の検証にも応用が可能なものであり、疲労の臨床研究の中で広く応用されることを願っている。

F. 健康危険情報

特になし

G. 研究発表

1. 論文発表
英文
1. Sakudo A., Kuratsune H., Katou Y.H., Ikuta K. Secondary structural changes of proteins in fingernails of chronic fatigue syndrome patients from Fourier-transform infrared spectra. Clinica Chimica Acta 402(1-2):75-8., 2009 4月
2. Sakudo A., Kato Y.H., Tajima S., Kuratsune H., Ikuta K. Visible and near-infrared spectral changes in the thumb of patients with chronic fatigue syndrome. Clinica Chimica Acta 403(1-2):163-6, 2009 5月
3. Mizuma H., Tanaka M., Nozaki S., Mizuno K., Tahara T., Ataka S., Sugino T., Shirai T., Kajimoto Y., Kuratsune H., Kajimoto O., Watanabe Y.  Daily oral administration of crocetin attenuates physical fatigue in human subjects. Nutr Res. 29(3):145-50, 2009 6月
4. Matsuda Y., Matsui T., Kataoka K., Fukuda R., Fukuda S., Kuratsune H., Tajima S., Yamaguti K., Kato YH., Kiriike N. A two-year follow-up study of chronic fatigue syndrome comorbid with psychiatric disorders. Psychiatry Clin Neurosci 63(3):365-73,2009 6月
5. Tanaka M., Fukuda S., Mizuno K., Yoshida K., Kuratsune H., Watanabe Y. Stress and coping style are associated with severe fatigue in medical students. Behavioral Medicine 35(3):87-92,2009 9月
6. Sakudo A., Kato Y.H., Kuratsune H., Ikuta K. Non-invasive prediction of hematocrit levels by portable visible and near-infrared spectroshotometer. Clinica Chimica Acta 408(1-2):123-27,2009 10月
7. Fukuda S., Kuratsune H., Tajima S., Takashima S., Yamagutchi K., Nsizawa Y., Watanabe Y. Premorbid personality in chronic fatigue syndrome as determined by the Temperament and Character Inventory. Comr Psychiatry 2010 Jan-Feb; 51(1):78-85. 1月
8. Koyama H., Fukuda S., Shoji T., Inaba M., Tsujimoto Y., Tabata T., Okuno S., Yamakawa T., Okada S., Okamura M., Kuratsune H., Fujii H., Hirayama Y., Watanabe Y., Nishizawa Y. Fatigue is a predictor for cardiovascular outcomes in patients undergoing hemodialysis. Clin J Am Soc Nephrology  (in press, 2010)
9. Fukuda S., Hashimoto R., Ohi K., Yamaguti K., Nakatomi Y., Yasuda Y., Kamino K., Takeda M., Tajima S., Kuratsune H., Nishizawa Y., Watanabe Y. A functional polymorphism in the Disrupted-in schizophrennia 1 gene is associated with chronic fatigue syndrome. Life Sciences  (in press, 2010)

和文
1. 倉恒弘彦、田島世貴、小川 正. 女子大学生における疲労・抑うつと食生活、栄養摂取との関連について Functional Food 第10号 特集号 疲労と機能性食品 (印刷中、2010年)
2. 倉恒弘彦、中富康仁、神楽美香、田島世貴、山口浩二、松井徳造、西沢良記. 慢性疲労症候群患者に対する1日2回服用タイプの補中益気湯の治療効果 Progress in Medicine(印刷中、2010年)

2. 学会発表
1. Kuratsune H. Brain and Autonomic dysfunction under the Fatigue and Stressful Condition. シンポジウム 第83回日本薬理学会年会 (大阪) 平成22年3月16日
2. 倉恒弘彦. 馬介在療法の科学的効果-内科医の視点から- 動物とヒトが共存する健康な社会 第7回北里大学農医連携シンポジウム (東京)平成22年3月4日
3. Kuratsune H. Changes in autonomic nerve function in the mental fatigue state caused by long-term computerized Kraepelin test workload. Sympojium Molecular/neural mechanisms of fatigue and fatigue sensation The 36th Congress of the International Union of Physiological Sciences(Kyoto) 2009年8月1日

3. 書籍等 なし

H. 知的財産権の出願・登録状況

1. 倉恒弘彦、渡辺恭良
DNAチップ解析による慢性疲労の評価、診断法 (特許出願準備中)