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私が社会福祉士を目指した理由 - 偶然が必然になった様々な出会い -2018年02月19日

 幼少の頃、同じ学年で仲の良い従兄弟が3歳時、インフルエンザに罹患し、高熱とインフルエンザウィルスに侵され「インフルエンザ脳症」となってしまいました。その後遺症から、重度の脳性麻痺と診断され、知的にも身体的にも重度な障害を重複している重症心身障害となりました。
 それから、祖父母宅の玄関先で、従兄弟は大好きだった野球のバットで、朝から晩まで無言でゴムのボールをコロコロと転がしているだけの状態になりました。伯母は、いつも私の顔を見て、「私がもっと早く病院に連れて行っていれば、この子がこんな事にならなかったのに…」と言っては、いつも泣き出すのです。ですから、私は子どもながら、とても気が重い状況でした。
 しかし、私が10歳になった夏休みに祖父母の家であった伯母は、初めて私の顔を見て泣かなかったのです。リビングで話す大人の話に耳を傾けていた私は、「最近、養護学校が終わってから障害児デイサービスを利用するのだけれど、そこの相談員さんが親身になって話を聞いてくれるので、とても心の整理がつき『前向きに頑張ろう』という気持ちが湧いてきた」という話を聞き、「すごい仕事があるんだなぁ」と、とても不思議な気持ちでした。
 その頃から、私は「将来は、障害のある方の相談や支援のできる仕事に就きたい!」と思うようになり、社会福祉の道を本格的に目指すようになりました。そして、何とか“夢を実現したい”という思いで、社会福祉士の受験資格を取得できる大学に入学しました。
 大学並びに大学院で師事したゼミの恩師である浅野仁先生(故人:関西福祉科学大学名誉教授)は、「これからは資格社会になり、社会福祉においても有資格者が求められる時代になる。福祉専門職としての実践は論理を超える(机上の空論より実践の方が重要である)」といつも私達に教示してくださいました。
 現在、私は「社会福祉士や精神保健福祉士、介護福祉士等になることが目的ではなく、専門職となってからが本当の勉強の始まりである」と、いつも授業でお伝えしています。私自身が教員として、社会福祉士・精神保健福祉士として、一人でも多くの学生の皆さんの合格を応援し、自らが「常に向上心を持って自己研鑽を行い、現場実践の少しでもお役に立つことが、一生の命題である」といつも感じています。


社会福祉学科 立花 直樹准教授


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